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No.61『生きる』

更新日:2023年5月5日

1952年 日本映画 黒澤明監督

志村喬という俳優は名優と称されるが、 「何でこんなに演じないのだろう」と思うこともあり。 口をあまり開けず、表情筋が動かない。 台詞に抑揚を付けず、棒読みのように感じることもある。 それなのに、台詞を聴き終えると涙が出る。 知れば知るほど、不思議な俳優である。

黒澤作品になくてはならない俳優であり、 脇を固める役では何作も観てきたが、主演は何といっても本作。 そして、驚いた。 「演じない」役者が「演じ過ぎている」のだ。 死の宣告を認識する市役所の市民課長、目はぎらぎら、口を開けばしどろもどろ。 まるでロボットにでもなったかのように、通常の動きができない主人公。 極めて現実的な物語に、寓話性を持たせてくれる。

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死を受け止めきれない主人公の奇行を経て、 いきなり葬儀の場面になるつくりが出色。 ひとりの人間の成し得たことを評価するのは本人ではない、 まわりの人々であることを見せつける。

フィーチュアされる『ゴンドラの唄』は、本作を初めて観た20代のころに知った。 歌曲が出来てから、遥かな年月が経ったあとである。 「いのち短し恋せよ乙女 紅き唇 褪せぬ間に」 本作は黒澤作品のなかで何回も観てきた一作だが、 今回に初めて、主人公はなぜこの歌をうたったかと考えた。 ひとり息子を不器用に愛しすぎたやもめの主人公が絞り出したかった歌、 幼い子を残し若くして死んだ妻への鎮魂歌であったのかなあ・・・

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