1959年 日本映画 市川崑監督
「映画化」とは「映像化」である。 言葉より力のある現物で勝負しなければならない。
谷崎潤一郎の官能小説を映画にするなら、 この市川崑ヴァージョンだろう! 20代の仲代達也が、あの大きな目でぎょろり、 カメラ目線のモノローグから、 観客は片時も目が離せなくなる。
医院で何やら注射を受ける初老の夫には、 かなり年下の妖艶な妻と地味な容貌の娘が居る。 妻・郁子に扮する仲代達也の吸いつくような肌を、 出し惜しみしながら見せていくカメラワーク。 巧いなあ!
妻との性愛行為に命がけで挑む夫の姿、滑稽だが理解できる気がする。 肌を重ねるのは生きている証。思えば亡き我が父・巨泉も、 何歳になっても夫婦のセックスを重要視すべきと、 テレビでも語っていたっけ・・・
これでもか、これでもかと想像力を煽る濡れ場を見せつけ、 「日記」の「に」の字も出さない脚本は流石。 最後のサラダのシーンで漸く、郁子が「日記を初めて書きましたの」と口にする。
キイ・パーソンとなる北林谷栄の、そら恐ろしい怪演! 観客を突き放すラストも見事。
同時代的に観た、1970年代後半以降の市川崑作品とはひと味ちがう、 エロスと戦慄の世界を堪能して欲しい。
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