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No.248『ゴダールの決別』

執筆者の写真: 大橋美加大橋美加

更新日:2023年3月25日

大橋美加のシネマフル・デイズ

1993年 フランス・スイス合作映画 ジャン=リュック・ゴダール監督

(Hélas pour moi)


『勝手にしやがれ』(’59)でゴダールに夢中になった映画ファンは

数えきれないはずだが、

1990年代に及んでも夢中でい続けた映画ファンを数えることは難しい。

映画という芸術の”かたち”から、あまりにも離れてしまったから。

亡き我が父・巨泉がジャズという音楽について語っていたことと響き合う。

「イントロがあってテーマが始まり、そのあとはコード進行に則ってアドリブを

繰り広げていく、それがジャズであったはずなんだよ」と。


’90年代以降のゴダール作品は、いわばフリー・ジャズのようなものか。

観客に理解でなく、感覚の呼応だけを求めたのか。

それとも、何も求めなかったのか。




本作で映し出されるのはレマン湖畔の美しい風景。

一組の夫婦に起こったという事件を調査に来る探偵、答える人々。

”水”の占める割り合い多し。


湖水から小舟で戻ったジェラール・ドパルデュー扮する夫は、

神が乗り移ったかのような言動を示す。

”オンディーヌ””ローレライ”などなど、”水”にまつわる名をもつ女性が見え隠れ。


クロース・アップ好きにもほどがあるショットの数々。

ドパルデューの巨大な鼻、ロランス・マスリアの縮れた赤毛が、

ミノタウルスや牧神をも連想させる。

そして、雷鳴とも列車の轟音とも受け取れる、耳を劈き不安を煽る効果音!


淀川長治先生いわく「ワン・シーン、ワン・カットに、

あらざる意味を己で作る楽しさにふけるがよい」と。

確かに’60年代の名作群にも、観客を試す部分は存在した。

ゴダールへの追悼を込めて、’90年代以降の作品を観かえしてみようか・・・。

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